アーティスト・ステートメント 2015年版 yukiishida ◆はじめに 私の作品は分かりにくい。それはむつかしいとか、そういった類のものではない。背骨の入ってない軟体動物のごとく柔らかく、へたりと自律を諦めて視界から消えてしまうからだ。 また、作品でもないのかもしれない。 作品であると名乗るためには輪郭が必要である。ここから――ここまで。と。 そういったものに厭忌感があり、ずっと避けてきた。指向性とは逆の性質、粘菌コンピュータのように働く。 それぞれの作品を家とするならばその間を遍満する道路になりたいと思っている。 ◆流通と蔓延とコントロールと想像力 現代を生きる作家にとってインプット・アウトプットだけではなく、流通の問題にまで踏み込むのは当たり前になった。 効率性から展示、あるいはインターネットにアップすることを避ける作家もいるだろう。 それをどこまでコントロールするか、あるいはしないかという選択が否応なしに迫られる。 それから時間尺度のずれも大きな問題になってくるだろう。宮大工のように1000年後を想像して創作する人もいれば、Apple Inc,のように毎年のように新作をリリースするアーティストもいる。私達はこれらの世界観に挟まれながら生きている。僕はどのタイムスケールを採用するか常に考えている。解像度が高いままより遠くへ。ベストな選択はどれなんだろうね? ◆版画家と摺師、はたまた作曲家と演奏者のような甘い関係 オリジナルプリントという概念は失念してしまったので、僕の写真は好きにプリントしてくれて構わない。 僕よりもCanonやEPSONのほうが上手にプリントしてくれるはずだ。 もしあなたがアート・コレクターならばプリントを持ってきてくれ。裏にサインを入れてあげよう。(もちろん表でも構わない!) ◆お金をくれるのかい? フェデックス・コーポレーションが買収したキンコーズというお店があるので、そこで素晴らしいプリントを作成して、郵送してあげよう。 ◆「(なるべく早く)人間になりたい」 生きていることは世知辛い。だが、瞬発的に楽しい時というのが存在する。そういったものを集め圧縮したらどうなるだろうか。僕が死んだ後、後年の人は僕の人生をとても楽しいものだと勘違いするのではないだろうか。そういった露悪的な興奮で僕は写真を撮り続けている。 僕は早く人間になりたいと思っている。死ぬまで人間になれないのかも、と考えるときもある。 人権が発明されたのは1948年。それからもう50年以上の時を経ている。「人間は誰しもが幸福を追求する権利がある」と言ったときの「人間」には白人しか入っていなかった。それから黒人が人間になり、アジア人も人間になり、それらはもしかしたら動物にまで拡張されようとしている。 人間の拡張には夢がある。僕も早く人間になって、人間を広げる戦いに参加するときが来るだろう。「リバティ」と「フリーダム」を求めて。 ◆最後に真っ赤なフェラーリに乗って 2011年6月8日。サッカー選手の本田圭佑は赤のフェラーリに乗って成田空港に到着した。「子どもたちに夢を与えたい」とスポーツ紙が報じた。素晴らしいことだと思う。世界のサッカー少年に夢を与えるためにパフォーマンスを厭わない。そういう人間に私もなりたい。当たり前のように子どもや孫という時間軸で生き、フェラーリに乗って死にたい。(マクガフィンだからね。ディティールは気にすんな) ◆1985年-2015年-2045年 「Back to the future」という映画が好きだ。 1985年に想像した2015年を想像するには、2015年に2045年を想像するしかない。2045年はシンギュラリティといってコンピュータが人間を超える日であり、第二次世界大戦終戦100年にあたる。第二次世界大戦を知らない子どもたちだけでやっていかなくてはならない。写真は地球をコンプリートし、宇宙はより身近なものになっているだろう。 その時が来たら作品を大気圏外に飛ばしたい。世界中のどこからでもアクセスできるし、必要なツールは望遠鏡だけだ。 しかもとても劣化しない環境だ。運が良ければ大気圏を突入して、燃え尽きるところが地表から見えるかもしれないね。 ◆写真ミイラ 新しいメディアには豪華絢爛な道が用意されている。 ずっと以前から言われていたことだが写真は死んだメディアである。 日本に輸入されてきたときは「真ん中に写っていた人の魂を奪う」メディアだったのだが、熟れ、流通し、そして紛失し、再発見された。チョモランマの山頂も撮影され、マリアナ海溝の底まで撮り尽くされ、そして人々は最大の謎である日常を撮影し、すべての景色に手垢がついた。 もう撮るものはない。だからこそ、そこに希望を僕は見出している。ピラミッドからミイラを掘り出して、動かそう。今こそ新しいゲームを始めるために。 ◆一緒にゲームを始めよう 写真はマージャンと同じくらい面白い。作業はボタンを押すだけなのに、良い物が現れたり、そうでなかったり……。報酬系の麻薬が生まれる。原始的な快楽。一方で、有用で合理的な仕事にも憧れる。しかし、それ以上に無為で非合理な仕事に私は魅力を感じています。あなたはこの文章をどこで読んでいますか? 私はいま日本の、その中のさらに小さな島でこれを書いています。2015年4月14日の朝にこれを書きおえました。あなたが今置かれている状況とずいぶん違うでしょう。でも、まだあなたはこの文章をどこかで読んでいる。同じ時代を生きているんです。想像力を働かせてください。写真はとても面白いギャンブルです。起きたらカメラを買いに行きましょう。これから共に有象無象のゲームを始めましょうではありませんか。 石田祐規 yukiishida